こんにちは、アザ・キャストです。
皆さんは、「言い訳」をして行動を起こさない経験はありませんか?
仕事で、家事で、付き合いで、趣味で。
「わかってるんだけれど…」と思いながら、うだうだと言い訳をしてやらずに終わってしまう。
そんな経験が誰しも一度は、いや一度どころが何回もという方も少なくないと思います。
かくいう私も、もはや達人と言ってもいいほどに言い訳を繰り返してきました(苦笑)
しかし、最近になってようやく「言い訳せずにやりたいこと・やるべきことに向かうぞ」という方向にメンタルが向かっていくようになったのです!
そこで今回は、言い訳を続けてきた私が何故やる気になれたかというお話をしたいと思います。
・言い訳を続けると、待っているのは「できないことが増える」だけではありません。
・私がやる気になれたのは、やる気になろうともがいた結果ではありません。
この記事は5分程度のボリュームとなっています。
反面教師として、少しでも考える糧になれれば幸いです。
何故言い訳をしてきたのか
今になって思い返すと、私は自分に対する「思い込み」から言い訳をしていました。
「自分は要領が悪いんだ」
実際、要領は悪いんですけどね。
動作が遅いですし、応用も効く方ではないです。
ですが、そう思い込んで様々なことに手を伸ばさなくなったのが、何よりいけませんでした。
下手でも簡単に投げ出さなかったら、もう少し何か残ったのではと思わずにはいられません。
「〇〇には永遠に敵うことはない」
他人と悪い意味で比較するのも、失敗でした。
「〇〇は才能がある。自分は才能どころが何もない。自分はその世界では生きていけない」
他人の背景を知らず、自身のその先を見据えた行動もしないまま言い訳ばかりを繰り返す。
思い返すと、何とも恥ずかしい状態ですね。
言い訳をしてきた結果、どうなったか
そして、言い訳をした先に待っていたのは「できないことが増える」だけではありませんでした。
数少ない「できること」に依存・逃避するようになった
何かができることというのは、素晴らしいように言われています。
しかし、私は「できること」に依存し、考えることから逃避していました。
カードゲームが全くの素人より「できること」ではあるものの、プロになるほどの技量も熱意も持つわけでもなく、かといって他にできることを探すわけでもない日々。
前に進まず、他の道を選ぶこともない。
手にあるものを捨てることも持ち替えることもない、そんな状況を続けていた時期がありました。
「もう手遅れなんだ」を重ねるようになった
そして時間だけが過ぎる中で、「もう手遅れなんだ」が口癖になっていました。
手遅れだという確たる根拠はありません。
ですが、思い込み言い訳を繰り返す私に「手遅れ」の概念は深く覆いかぶさっていたのです。
本当に「自分が何かで名を立てるにはもう手遅れなんだ」としか思えませんでした。
「嘘も百回言えば真実となる」と言いますが、まさに真理だと感じますね。
何故やる気になったのか
そんな「言い訳」をしてきた私が、何故やる気になったのか。
奇跡が起きた……わけではありません。
揉まれに揉まれ…
やる気になったのは、時間の経過によって落ち着いたからです。
個人としては「感情の渦に揉まれに揉まれ、その果てに漂着した」という感覚でしょうか。
言い訳によって発生した問題自体は、残念ながらほとんど解決していません。
しかし、時間が解決してくれたものは存外に大きかったのだと思っています。
今の状態に「飽きた」から
苦しみ、漂着し、休む。
そして、落ち着きを取り戻して冷静になった時、現状に対して「飽き」を感じ始めました。
十分に休める環境があるという幸運に「飽き」というのも失礼な気がしますが、休める分収入や人との出会いがほとんどなくなっていたのです。
「自分で稼げたら、現在よりもゲームやお酒がもっと自由に楽しめるのではないか?」
「自分で稼げたら、より人との出会いの機会を増やせて楽しめるのではないか?」
そのようなことに思いを馳せると、自然とやる気が湧いてきていましたね。
さいごに
今回は、言い訳を続けてきた私が何故やる気になれたかをお話しさせていただきました。
今考えていること
再三「言い訳による失敗」を話してきましたが、言い訳を一切するなとは思っていません。
そんなマッチョな考え方してたら、自分も他人も疲れてしまうので。
どこかで「あ、この言い訳は自分にとってマイナスになるな」と思うことがあれば修正していく感じでいいと思います。
ストレッサーが多い現代、言い訳をうまく使って面倒を避けるのも悪くはないのかな、と。
こんな感じでまとめたことが、読んでくださった方の役に立てれば幸いです。
どうか、安らかで実りのある人生があなたのこれからにありますように。