【雑記】「解釈違い」という辛いうえ戦争にしかならないワードについて

手にペンを持って思索 雑記
・「解釈違い」という言葉に対する見解を述べていく記事です。
・筆者のスタンスは「自分の好きを語る際に相手の好きを否定するべきではない」です。

こんにちは、アザ・キャストです。

最近、「解釈違い」という言葉を目にすることが多いですね。

不満のイメージ写真

意味を確認したところ、どうやら「コンテンツの在り様が、自分の思い描くものと大きくかけ離れている状態」の時に使うようです。

(例:漫画の主要人物が、本編の数年後誰と結ばれることになるのか 等)

確かに、「こういうことじゃないか」「ああなんじゃないか」と自分が楽しく思い描いたものとかけ離れたコンテンツに遭遇した時の衝撃はあると思います。

ヒステリーを起こしている女性のイラスト

しかし、この「解釈違い」という言葉、あまりにも刺々しく自己中心的すぎて、いらぬストレスや火種を巻き起こしている概念ではないでしょうか?

そこで今回は、「解釈違い」という言葉についての自己見解を語る回にしたいと思います。

・「解釈違い」というものの根底に存在するのは「コンテンツへの愛・理想」である。
・あなたにとっての「解釈違い」は、誰かにとっての「解釈(愛・理想)」である。
・独自の「解釈」を持つことは素晴らしいが、現代において黙するが正解であることも。

この記事は5分程度のボリュームとなっています。

 

「この記事はあなたを否定する意図はない」

上記を念頭にご覧いただければ幸いです。

見解1:コンテンツへの愛は分かる

ペンライトを振るアイドルファンの女性のイラスト

「解釈違い」という言葉を用いる人の根底には、コンテンツへの愛があるのでしょう。

愛ゆえの感情

愛ゆえに「(その人にとって)コンテンツで起こり得ない事象」に対する熱が生まれる。

さながら、(その人から見ると)愛する人の心を知った風な口をきく人間に対する「あの人はそんなこと言わない!」という感じですかね?

結果として、「解釈違い」という言葉が出てくるのではないでしょうか。

理想を求めることはいいと思う

オタ芸をするオタクの男性のイラスト

言葉はともかく、「私はこういうのが好きなんだ」という基準や理想を持つこと自体は悪くない、むしろいいと思います。

何かを好きでいられることは素晴らしいことです。

好きでいることは、意欲や精神の安定にも繋がる行為ですからね。

見解2:他者を否定すべきではない

否定のイメージ写真

ただ、見たところ「解釈違い」は他者を否定する側面が強いようにも見られます。

目の前のそれは、あなたと同じ

何故、他人の想いを否定するのでしょうか?

あなたが「解釈違いだ」と指をさして憤るもの、それもまたあなたと同じ「解釈」です。

どうして、自分の解釈は肯定され、他人の解釈は否定されなければならないのでしょうか。

逆だとしたらどうか

反対に、もしあなたの解釈が「解釈違いだ」と揶揄されたらいかがでしょうか?

悲しげな表情で鏡を見る女性のイラスト

「それでもかまわない」と言うあなたもいるかもしれません。

ですが、だからといって他人の解釈を「解釈違い」だと言っていい理由にはなりません。

他人は、あなたではないのですから。

見解3:そもそも「解釈違い」という言葉を出すべきか?

沈黙のイメージの写真

いたたまれない感情を表現するということで、「解釈違い」は言い得て妙だとは思います。

しかし、出さない方が平和に生きることができるでしょう。

火種にしかならない

ケンカする女の子のイラスト

解釈とは理想であり、理想は人によって異なります。

誰かの理想が誰かの非理想であることは十分にありえます。

それを押し付け合う行為は、争い・ストレスを引き起こす結果にしかなりません。

公式が解釈違い?

中には「公式が解釈違い」というのも見られます。

「世の中のあらゆるものは世界の二次創作」という言葉もありますが、基本的に公式はコンテンツの一次創作です。

まず公式が存在してから、解釈が生まれます。

根底・世界線のベースとなる公式を否定するというのは、甚だ身勝手な話ではないでしょうか。

「沈黙は金」

穏やかな表情の仏像写真

好きなことを語るのは楽しいです。

しかし、時には沈黙、秘することも必要です。

現代は簡単に留めることもなく、言葉を発信することができます。

だからこそ黙し、考え、その上で語ってこそ、今の時代でコンテンツもあなたの解釈も輝くのではないでしょうか。

さいごに

執筆のイメージ写真

今回は、「解釈違い」という言葉についての自己見解を語らせていただきました。

本記事を書こうと思った理由

本音を一言でまとめるなら、「腹立たしかったから」です。

激怒する男性のイラスト

程度の違いこそありますが、コンテンツというものは作るのが大変です。

悩み、苦しみ、投げ出したくなったりした末に、コンテンツは生まれます。

それを見ず知らずの他人、制作作業に精を出した経験もないような消費者に「解釈違い」だと一蹴され、自分勝手な怒りや嘲りを向けられる。

このような残酷なことがあるでしょうか?

 

世界や作品に対し、思うことは十人十色です。

だとしても「解釈違い」という言葉を、安易に人に向けるべきではないと私は思うのです。

 

言葉で傷つけ傷つけられる人が減ることを願い、今回は締めさせていただきます。